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最近読んだ本

ハードカバーで買ってしまったにもかかわらず、結局本棚のスペース考慮という名目で文庫本(全5巻)を購入したにもかかわらず、結局ハードカバーの方も処分しきれていない上に、また読み返してはまっていた「模倣犯」(笑)。だれかハードカバー版、いりませんか(^^;)

流行りモノで「ダヴィンチ・コード」とか。
「ダヴィンチ・コード」って、上中下巻となっているので、さぞかしどろどろ~っと深く展開していくのかと思ったら、意外にスピーディに読めた。
確かに謎解きの内容は二転三転していくんだけど、物語の本軸が物凄く意外な展開なわけではないので思っていたよりもアッサリ感。上・中巻で半日くらいしか経ってないからか?(笑)つか、「謎を知るための謎」に読んでるあいだ翻弄され続ける部分も多いので、なかなか物語が進まないんだろうな。
映画はまだ未見。かなり酷評されているそうだけど、どんなもんなんでしょうね~。忠実にやっただけでは見る側が置いてけぼりになりそうな気もする。キリスト教についてのトンデモ新説(笑)がテーマで、それをガンガン解明していくのが肝の話だけど、それって正史の知識が念頭にあってこそだもんね。
それらは未見なのでいいとして。つーかさ、原作読んだら絶対みんなラングドンの姿をハリソンフォードで想像して読むよね(笑)

ハリーポッター(謎プリ)まだ半分しか読めてない。さくっと最後まで行きたいので、これから本腰。しかし、6巻まできて言うのもアレだけど、やっぱりこの翻訳あまり好きではないなあ~(汁)

後、「レンタル・チルドレン(山田悠介)」 「夜市(恒川光太郎)」など。最近はちょっとドス重い系(笑)を読むのにはまっているだすよ。



で、「模倣犯」読み返していてふつふつと思い出したので、映画版「模倣犯」について、下でちょいと語ってます。

まあ宮部さん好きな人の独り言ってことで、無駄に長いので、興味のある方だけ読んで下さい(笑)
そうそう、ネタバレバリバリですので、その辺はお気をつけクダサイませ~(汁)
ていうか……それよりも映画「模倣犯」についてものすごく力一杯否定的だというほうが問題か(爆)





映画になると知ったときには、まあこれだけメジャーな作品だし、それもあるだろうとは思っていたのですよ。主演を見て「?」となったし、様々なバラエティタレントのゲスト出演がすごい不安要素になっていましたが、まさに映画はとっちらかっていました。
つまらないとか眠いとかいう感想の映画は大抵忘れるようにしているので、後々まで引きずるのもなあと思うのですが(実際、見に行った当時はやるせなさに憤慨した「戦国自衛隊(新)」も、今ではイイ思い出になりました(笑))、ただこの「模倣犯」だけは、まだ当時の憤懣やるかたない気持ちが新鮮に蘇ってくるですよ。個人的に宮部さんの小説が好きだからというだけではかたづけられない怒りがムラムラとね!(笑)

なんか、あの大長編を一本の映画にするのがどうこうとか、そういう次元では最早なく。長編を美しくまとめ、それほど破綻もなく映画としても素晴らしいものに仕上げた作品はいっぱいあるわけで。有名なところで「羊たちの沈黙」なんかそうですよ。だから、それ抜きにしても、テーマのとらえどころが違いすぎるっていうか。
例えば、前半と後半で人物の描写のガラッと変わったピースにしても、前半はほぼ「ヒロミの視点で語られるピース」であって、大袈裟に言えば、あのピースはヒロミが憧れて都合よく神格化した、彼の妄想に近い存在だと思うんですよね。それが網川浩一として再登場したときに、次々ボロを出す、計画は行き当たりバッタリ、計算ではなくハッタリ、というような描写と、カズの語るピース感などがあって、ヒロミが幻想から冷めてゆくあたりでもう、ピースという人物は最初からヘタレだったということがわかるわけじゃないですか。

だけど、映画ではピースというキャラを最初から最後まで、原作前半の完璧なピースとして表現しようとしているわけで。それならそれで、ちょっと安い感じの和製レクター博士として描いた方が筋が通りやすいわけですよ。映画はもうオリジナルとして描いた方がいい。なのに、肝心の山場でなぜか原作の決め台詞を持ってくる。
有馬老人の「お前はただの人殺しだ」という台詞は、ピースではなく、自尊心肥大の網川浩一という未成熟な男に向けられるべきものなわけで、完璧な犯行と完璧な死(その方法はともかく)で、最後まで自己演出したピースへの言葉としてはちょっとオカシイんですよ。あの有馬老人との対立の構図はなんだったのかと。勿体ない(;´Д`)あれじゃあ有馬さんの負け惜しみみたいじゃないでつか。
そして、滋子の用意した「模倣犯です」というブラフにも重みはない。ピースが何度かヒロミに見せてきた、「石のような目」という自分へ向けられる否定への憎悪というエピソードも入れてないから、なぜそこでボロを出すのかいまひとつわかりにくい。
大体、自殺するためにあらかじめ爆弾を飲み込んでいたというのもそもそも変だし。本人はテレビに出るまで失敗するつもりなんてサラサラなかったでしょうからね。

この辺の食い違いと、ラストのこれまた意味不明な問題提議、「人間の善悪は環境か血か」みたいなのも(環境にきまってんだろ)、重みがないにもほどがある。ピースが自分の生い立ちから、罪を犯さない人間になるとしたら、というリセット願望……とでもいうのか、とにかく、自己演出を完璧にやったと自負する男が何故そんな問いかけを改めてするのか(しかも死後に)。
で、一番問題なのは、あの爆弾自殺(映画史上もっともばかみたいな自殺シーンだと思う)。原作の意図は、やはりピースはそもそも完璧ではなく、ちゃんと逮捕されて自分賛美から現実に戻ることこそが主題だったにも関わらず、あの自殺になったわけで。
森田監督には本当に、原作とは別物として、勝手に脚本書いて勝手に「理想のピース」を描いて欲しかったと(笑)。なぜいらんところで原作の肝をチョイスし、なおかつその上で原作の主題を改竄するのか理解に苦しむですよ。

そしてなぜか女の人の描き方が違和感ばかりだった。滋子をどういうキャラ付けにしたかったのか、出てきてからずっと陰気な雰囲気(ただの眠そうな女にしか見えない)のも意味が分からないし、無理矢理謎をねじ込んだ感の強い鞠子とその不倫相手の気配とか、必要なのかな。被害者の死体を見せないのは手法としてそれもアリかもしれないけど、監禁シーンなどは、恐怖とか陰惨より先に汚らしさしか感じない。



……というわけでね、いまだに映画「模倣犯」への怒りがこんなにスラスラでてくるとは自分でも驚きよ!(笑)
この映画、インパクトだけはあった。前半はかろうじて展開も飽きさせないし、原作とは違う捉え方ならそれはそれで可なのではと思わせる雰囲気もあった。でも後半であまりにも強引になりすぎて観客が音速越えで置いて行かれたということかな。
まあこれだけ語るべき事があるというのはそれはそれで表現媒体としてはアリなのかしら。

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